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知られざる!? 桶川市の道路の変貌

前々回の記事で、川越栗橋線の旧道はいくつかの道をつなぎ合わせてできたものある。ゆえにあちこち屈折していたということを話題にしました。

ですが、古い写真を見ていると他にも興味深いことがいくつも出てきます。そのうちの一つが前回、桶川市役所の建て替え計画の話をしたついでにお伝えした「役場通」です。今回はこの役場通以外の道について、前々回と同様に「国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス」の写真を見ながら迫ってみたいと思います。

ですが、空中写真を見る前にこの記事を書いている2015年時点での地図を見ていただきたいと思います。

map2015.png

注目すべきところはここ。
map2015-2.png

三共理化学のところで市道1号線が西に向かって屈折していますが、この屈折した道を東の方に向かって伸ばしていくと線路の反対側にある線路手前で途切れている道にちょうどぶつかります。この道はYahoo!の地図では半透明になっていますが、れっきとした公道で、べにばな陸橋の側道を起点に線路手前までが市道3383号線となっています。

この市道1号線と市道3383号線、途中道がないですが、つながりますよね!

いや、いかにも昔はつながっていたような感じがしますよね!


さて前回も見た昭和36年の写真はというと…
S36fumikiri.jpg

なんと本当に踏切があって道がつながっています。

ですが、昭和42年の写真を見ると踏切は廃止されています。
S42fumikiri.jpg

いつこの踏切が廃止されたのか分かりませんが、いずれにせよ昭和36年から42年までの6年の間という結構昔早々に廃止されていたようです。しかしながら、なぜ廃止されたのかは写真だけではわからず。

また、この写真を見るとかつてはまっすぐ、現在の川越栗橋線となった道から分かれ出ています。それが、起点付近に家ができたことによって曲げられて、現在の道になりました。


これで桶川市の道の歴史がまた一つ明らかになりました。めでたしめでたし…





…とはいきません!




というのも、見ていただきたい写真がもう一つありまして、昭和36年よりさらに過去の昭和23年のこの場所の写真です。

S23fumikiri.jpg

お分かりいただけるでしょうか。現在の市道3383号線に相当する道は、現在の川越栗橋線に相当する道よりも道幅が広かったのです。つまり、昔は川越栗橋線よりも市道3383号線の方が主要な道であったとも見て取れます。とはいうものの現在の桶川市役所入口交差点から数十メートルは川越栗橋線も同じ道幅です。その道の広さがそのまま直進する川越栗橋線ではなく斜めに折れる市道3383号線へと続いていくのです。

ですが、このまま踏切を渡っても上日出谷と川田谷に到達するだけで主要な道の要素がまるでありません。それにもかかわらず川越に辿り着く道よりも幅が広い。

…この謎をどう思う?



そんな中、この現在の市道3383号線の昭和23年当時の起点付近に何かがあることに気づきませんか?

何があるかって?



これです。

KIMG0810.jpg


そう、「松山以奈り道の道しるべ」。
KIMG0812.jpg

御由緒は横にある能書きを呼んでください。
KIMG0811.jpg

簡単に説明すると
かつて、桶川宿の北のはずれ、すなわち現在の桶川市役所入口交差点から東松山の箭弓稲荷神社へと続く「松山道(松山稲荷道)」というものがありました。その道の起点を示す標識としてこの「松山以奈り道の道しるべ」がここに建てられました。


つまり、少なくとも江戸時代には桶川市役所入口交差点から東松山まで行くことができたということです。しかし今その道はもうありません。ここから行ける場所は川越だけです。

このことに関して、件の廃止された踏切および市道3383号線に相当する道のかつての起点、そしてのその道の広さを合わせてこんなことが考えられませんか?

市道3383号線と市道1号線の一部がかつての松山道なのかもしれない、と。

確かに方角は東松山の方を向いていますが、この道を通っても行き着くのは上日出谷と川田谷だけで、やはり東松山には辿り着きません。

ではこの道はいったい何なのかそう考えている時に一つの道の存在が浮かび上がってきます。
「県道東松山桶川線」が。

この県道はCoca-Cola East Japan OKEGAWA Office(旧三国コカ・コーラ本社)の脇から桶北の境界線を通り東松山まで続きますが、途中、上日出谷の外縁を通っています。

この松山道に関してはあくまでもすべて私の推測ですが、もし、現在の市道1号線から県道東松山桶川線につながる道があれば松山以奈り道の道しるべから東松山まで1つの道としてつながります。

そこで市道1号線と県道東松山桶川線をつなぐ道でかつての松山道として考えられるのが市道13号線です。

市道13号線の終点は県道東松山桶川線に突き当たったところですが、この場所の昔の写真を見てみることにしましょう。

これが現在の様子。
shido13.png

昭和36年の様子。
shido132.jpg

弧状で東松山方面に向かったY字路になっていますね。道幅から言えば昭和23年の写真を見ても二ツ家方面の方が広く、すでに交通は荒井橋⇔二ツ家となっていたことが伺えます。それでもこの形状なら上日出谷から道なりに進んでも自然に県道東松山桶川線に到達できます。

余談ですが、昭和42年の写真を見ると雑木林を抜けたところから県道東松山桶川線までの間に孤に対する弦のようにほぼ直線の道ができています。現在では弧状の旧道は完全に廃れて消えかかっていますが、一応市道3116号線として公道として残ってはいます。ですが南端は圏央道工事で、北端は上日出谷弥勒橋の工事で消滅にますます拍車がかかっています。

以上の事から現在の市道13号線と市道3116号線が松山道の可能性が高まりました。しかし問題は市道1号線から市道13号線に行きつくまでの道のりです。こちらは昭和22年はおろかこの付近を写したものでは最も古い昭和16年の写真でも見つけることができませんでした。

ここで考えられることは2つ。一つ目は昭和16年より前にその道は消えた。もう一つはそもそもそんな道は存在せず、松山道は現在の日出谷小入口交差点で曲がっていたということです。いくら主要な道だからといっても必ず一本道でなければならないわけではないはずです。ですから、松山道を桶川から東松山に向かって歩いていくと、日出谷小入口交差点に「松山道はここを右折」などと書かれた標識があったのかもしれません。

いずれにせよ憶測にすぎませんので事実を知るためには市史などを漁るしかありません。というかそもそもこの市道1号線と13号線が松山道であるということ自体私の推測ですから、もし真実を知りたいならば根本から調査しなければならない事案です。今回は写真を基に昔の桶川の道路事情を探ることが目的なのでそこまではしません。たとえこの憶測が間違いだったとしても、松山道という道がかつてあったのは事実です。現在ある県道東松山桶川線はこの松山道に由来しているものと思われます。




ところで、この松山道もしくは上日出谷と川田谷に続く道は現在の川越栗橋線より道幅が広かった。他方、川越へと続く道は貧弱で、いくつかの道をつなぎ合わせたものだった…。

仮に市道3383号線が松山道だとすると、江戸時代から昭和の中頃にかけては東松山に至る道が重要で、川越に至る道はあまり重要でなかったとも見て取れます。

いくらなんでもそんなことはないだろう。

そう思いますが、現に川越に至る道は貧弱です…。


これに関して結論から述べれば、桶川から川越に至る道は古くから重要な街道です。ですが、その起点は今とは違う場所にありました。


この答えは前々回の記事に掲載したこの写真にあります。
MKT613-C7-8.jpg

MKT613-C7-8 2


滝の宮線開通前の川越栗橋線はこのようにいくつかの道をつなぎ合わせたものだったと説明しました。
MKT613-C7-8_20150621191710713.jpg

ここで注目していただきたいのは、現在の藤波交差点です。桶川から川越に向かうにはまず現在のベニがある「例の場所」で曲がります。次にサンアリを過ぎたところでまた曲がります。そのすぐ先で藤波交差点を曲がります。しかしそれ以降は屈折している場所はありません。

逆に川越から桶川に向かう場合、川越栗橋線をたどると藤波交差点で左折しますが、ここをまっすぐ進んだ方がなんかしっくりきますよね。藤波交差点を東西に通り抜けるこの道ですが、直進している上に、よく見なくても周辺の道路と比べて道幅がかなり広いことがわかります。そのまま桶川の市街地に向かって進んで行きますが、現在は三井精機工場の跡地の再開発によって桶川駅西口に行き着きます。しかし、西口再開発前はというと、覚えている人もいるかと思いますが、線路を越え、大塚屋角の交差点で中山道に突き当たります。


…ところで、件の川越栗橋線ですが、この路線の前身は「川越古河線」という県道で、路線番号は川越栗橋線と同じく「12号」でした。それが昭和47年4月18日付の告示で廃止となり、同日の別の告示で川越栗橋線が認定され12号を世襲したという顛末です。
要するに昔は利根川を越えて(国道4号と重複しながら利根川橋を通っていたと思われ)古河まで続いていた道を川の手前、県内で完結するようにしたということですね。


川越古河線の説明をしたところで話を元に戻しますが、今回空中写真を引っ張り出している、この「国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス」はその名の通り地図の閲覧もできます。

そこで、昭和38年測量の国土基本図で大塚屋角から川越に至る一本道を見てみると、「主要地方道川越・古河線」とあります。その中でも起点付近には「県道川越古河線(川越新道)」という初耳(個人の感想です)の通称まで付記されています。

どうやらかつては桶川から川越に至る道は桶川宿の南端の大塚屋角の交差点が起点だったようです。そういえば桶川駅南側の踏切の名前が「第六川越街道踏切」でしたよね。そして沿道にいくつかの中高層マンションと神崎皮フ科がある、あの道はかつては主要地方道だったと(今は市道)。


この地図を見て気になることは他には中山道の路線でしょうか。この国土基本図が測量された年には現在のいわゆる「じゅーななごー」またの名を「バイバス」という4車線道路はすでに完成していましたが、まだ中山道も国道17号のままでした。そのため中山道には「国道17号(中山道)」と付記されており、現在の国道17号(じゅーななごー)の本線は「国道17号(大宮バイパス)」となっています。

国道17号はしばらくの間は2本体制でしたが、後に中山道は国道指定を外されます。昭和41年1月18日の告示で県道になり、国道17号は大宮バイパスが本線になったわけですが、それを反映して昭和42年の国土基本図では中山道は「県道鴻巣桶川大宮線」になっています。しかし「じゅーななごー」の方はと言うと「国道17号(大宮バイパス)」のままです。ですからバイパスが本線になってからもしばらくは大宮バイパスの名前が残っていたようです。現在は大宮が取れて単に「バイバス」として、一部の高齢者の頭の中にのみ残っています。


そんなわけで道路の変遷の話をしてきたわけですが、ここまで読んだ人なら誰もがモヤモヤを抱えているでしょう。

どうして県道川越古河線が大塚屋角の交差点で止まっているのかと。

それに関してですが、確かに大塚屋角で川越古河線は消えていますが、桶川市役所入口交差点から東に向かう道路に再び川越古河線の名称が現れます。

つまり川越からやってきた川越古河線は桶川で中山道に突き当たり、国道17号(昭和41年以降は県道鴻巣桶川大宮線)と重複しながら中山道を北上、市役所入口交差点で東に向きを変えて菖蒲方面に向かっていたということです。なので中山道の大塚屋角から市役所入口交差点までは国道17号(あるいは県道鴻巣桶川大宮線)であると同時に県道川越古河線でもあったということです。
当時の川越古河線はこんな感じだったということです。


どうしてこんなにもわけのわからない路線になったのかというと、従前の複数の県道をつなぎ合わせたからです。

こちらのサイトによれば昭和29年1月29日に告示された主要地方道第1次指定によって県道川越鴻巣線の一部および県道桶川坂戸線の一部、県道桶川菖蒲線、県道桶川栗橋線をもって主要地方道川越古河線が指定されています。それに合わせて埼玉県でも昭和30年4月1日に県道川越古河線が認定されたようです。

ただ、上記のサイトの記述でよくわからないのは「県道桶川栗橋線」という路線なんです。これに関して桶川栗橋線の文字に「””」をつけて検索しても上記のサイトと、明らかに川越栗橋線の誤記述と思えるサイトしか見当たりません。それに桶川から栗橋に至る路線で、かつそれが後に川越古河線となるならば、同時に記述されている「県道桶川菖蒲線」は全区間が県道桶川栗橋線と重複し、一つの県道として認定しておく意義がありません。県道桶川菖蒲線は確かに桶川から菖蒲町内の菖蒲仲町交差点に至る県道として実在し、国土基本図でも確認済みです。

おそらくこのサイトの管理者が間違って記述したものと思われます。では、県道桶川栗橋線に相当する実在の県道はどれかというと、旧道路法の施行に伴って大正9年4月1日の告示で認定された県道が掲載されているこちらのサイトで調べたところ、「159号栗橋菖蒲線」という起点が北葛飾郡栗橋町で終点が南埼玉郡菖蒲町、重要経過地として加須栗橋線(北葛飾郡静村において分岐)、南埼玉郡鷲宮村、久喜菖蒲線が挙げられている県道があります。
加須栗橋線は現在の国道125号の一部で「北葛飾郡静村において分岐」というのは高柳交差点の事を指していると考えられます。また久喜菖蒲線というのは同サイトによると現在は六万部久喜停車場線および川越栗橋線となっていることから久喜市六万部から菖蒲中心街までは栗橋菖蒲線と重複していたと考えられます。
以上の事から川越古河線となった県道は「県道桶川栗橋線」ではなく「県道栗橋菖蒲線」だと思います。

もう一点、気になるのは不審ではないのですが、県道川越鴻巣線と県道桶川坂戸線です。桶川と川越を直接結ぶ県道は存在しなかったんですね。同様に上記のサイトでこの2路線を調べると、川越鴻巣線は川越古河線に指定されなかった区間は川田谷鴻巣線を経て現在はさいたま鴻巣線の一部に、桶川坂戸線は川越古河線に指定されなかった区間は牛ヶ谷戸南戸守坂戸線を経て日高川島線の一部となっていることがわかりました。さいたま鴻巣線(川田谷鴻巣線)は川田谷交差点から北に向かう路線で、日高川島線(牛ヶ谷戸南戸守坂戸線)は川島町の山ヶ谷戸交差点で北に向かう県道です。どうやら川越古河線指定前は山ヶ谷戸交差点から太郎右衛門橋を含む川田谷交差点までは県道川越鴻巣線と県道桶川坂戸線の重複区間だったようです。
それに、今ではとんと縁のない坂戸市とも昔は県道でつながっていたというのも意外です。とはいうものの現在の県道日高川島線もニコヨン国道を越えたらあちこち屈折していて1つの道として機能していないわけですから、そういう路線があっても交流は活発ではなかったのでしょう。




だいぶ話がそれてしまいましたが、川越古河線というのは桶川と川越および坂戸を結ぶ道と、桶川と菖蒲を結ぶ道を結合してできた路線だということがわかりました。ですが、県道桶川坂戸線は大塚屋角が起点、他方県道桶川菖蒲線は桶川市役所入口交差点が起点…

…この2つの路線つながってないじゃん!

つながっていません! では、2つの起点が異なる県道を川越古河線として1つにまとめるにはどうすればよいか…

…中山道のうち大塚屋角と桶川市役所入口交差点の間も川越古河線に指定してしまえばいいんです。

そうした結果が2つ上のGoogleマップにあるわけのわからない路線指定です。

そんなわけで中山道を含めて1つの県道としましたが、現実的にはとても1つの路線とは言えませんよね。で、ちょっと地図を見てください。滝の宮のあたりから桶川市役所入口交差点までを道でつないだら大幅に短絡できるうえに1本の道になりますよね!

ところで、川越栗橋線の最初の都市計画は昭和22年(1947年)らしいです。この都市計画がどんなものなのかはよくわからないのですが、これほど昔から何らかの改良を施す必要があったのでしょう。本格的に計画が動き出したのは昭和29年(1954年)2月18日で、この日に、このブログの読者ならばもはやお馴染みのあの都市計画道路滝の宮線が都市計画決定しています。この日付は主要地方道川越古河線が告示されたのが昭和29年1月29日ですからこの直後になります。

川越古河線が指定されたものの、とても1つの道とは到底言えない。ならば新しく道を造ってつなげよう。そう考えたんですね。都市計画道路の名称が滝の宮線になったのも滝の宮から市役所入口に向かえば最短距離で結べるという事情があっての事かと思います。

このようにして新しい道を造ることが決まったわけですが、すぐにはできません。なので、暫定的に急遽、藤波交差点から桶川市役所入口交差点までの複数の「農村の生活道路のような粗末な道」をつなぎ合わせ、改良を施したということなのでしょう。

ですが、滝の宮線の全線開通は2013年の7月30日です。都市計画決定から実に59年と半年。いや、本当に長かった。

なお、滝の宮線に関しては昭和29年に都市計画決定という情報しか得ていませんが、計画に変更があったのはまあ間違いないでしょう。最終的には「じゅーななごー」の坂田交差点が起点になっていますが、昭和29年にはまだ旧大宮バイパスも坂田交差点もありませんでした。それに滝の宮と市役所入口交差点を結ぶ計画ですから、旧国道17号(中山道)の桶川市役所入口交差点が滝の宮線の起点だったということは想像できます。中山道が国道指定を解除され、旧大宮バイパスが17号本線になったことに対応して起点が坂田交差点に変更されたものと思われます。他にも当初から4車線道路だったとは考えにくいですし、終点も滝の宮線というくらいですから滝の宮だったのでしょう。その後上尾バイパスの計画が持ち上がったために終点を狐塚交差点まで伸ばしたのかもしれません。


ところで、昭和42年にはすでに藤波-例の場所-市役所入口間の暫定改良工事が完了していますが、いつ藤波-大塚屋角-市役所入口間の県道指定は解除されたのでしょうか。これは良くわかりません。空中写真にはそんな情報はありませんし、閲覧できる国土基本図も昭和42年のものが最後です。

それに関して昭和54年(1979年)に発行された昭文社の「グランプリ首都圏道路地図」を見ると旧県道桶川坂戸線と中山道も短絡路も主要地方道を示す緑色になっています。この時はすでに短絡路が川越栗橋線となっている一方で旧道もまだ県道指定されていたようです。
okegawa1979.jpg

ですが平成4年(1992年)の10月に印刷された「桶川市道路網図」では、すでに大塚屋角から若宮交番までが市道4244号線に、若宮交番から一二三屋までが市道73号線に、一二三屋から藤波交差点までが県道桶川浦和線に、そして中山道の大塚屋角から市役所入口交差点までは県道鴻巣桶川大宮線の単独区間となっています。

この2つの情報では不明な期間が13年間もあり、特定はおろか大体の予測も難しいです。まあ80年代ごろですから昔から近所に住んでいるおじさんにでも聞けば分かるかもしれません。

それとこの地図で気になるのは市役所入口より北も緑色になっていることです。こちらは県道東松山桶川線ですね。現在は加納交差点が終点っぽいですが、実際は17号と重複しながら坂田交差点まで続いているらしいです。しかし昭和54年ごろはまだ市役所入口交差点が終点だったようです。二ツ家交差点から加納交差点までの道が改良されて現状に変更されたのですね。

他にも昭和54年の地図にも上尾バイパスの予定線が描かれていて、結構昔から計画だけはあったことが伺えます。


何はともあれ、過去の空中写真や地図を調べることによって滝の宮線誕生の経緯や、旧川越栗橋線のごちゃごちゃの理由、川越栗橋線認定以前に存在した県道、今は無き松山道と多くの道の歴史を紐解くことができました。
まさか川越栗橋線が昔は大塚屋角を通っていたとは思いませんでしたし、滝の宮線には桶川を境に分断されていた県内の交通の広域化という重要な使命があったこともわかりました。

長々と桶川市の道路の変遷を書いてきましたが、もしかしたら何だそんなこと知っているよ! という方がいるかもしれません。ですが、「あまり語られることがない、けれど桶川市の現代史として記事にする価値のある情報」ではないかと思います。

こうやって調べていく途中で松山道を断定することができなかったり、「川越新道」という名前が出てきたりと新たな謎も出てきました。ですが、これらの謎は次回以降に譲り、今回はこれで完結とします。

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コメント

コメント

実家が日出谷の辺りなので、面白く読ませていただきました。

今昔マップというサイトをご存知でしょうか?
http://ktgis.net/kjmapw/index.html
過去の地形図を今の地図と比較して閲覧できるのですが、ここで明治40年の地形図が見られます。
これを見ると、松山道は小学校のところからマメトラの裏を通って、三共の裏のへちょい踏切を通るルート(昭和23年の写真にも写っています)だったようです。いまでも工場の前後に微妙に道が残っているのがわかります。

記事で取り上げている踏切ですが、昭和9年の地形図になく、昭和23年の航空写真にあるということ、田畑の区画を無視して一直線に引いているところなどから、三菱金属の工場が戦時中の操業なのとあわせて、工場と中山道の短絡路ではないでしょうか。

コメント

みずさん。コメントありがとうございます。
こんなサイトがあるとは知りませんでした。こうやって明治から昭和初期の地図を見ると昭和中期以降とはずいぶん桶川の街も変わっていますね。
なるほど、本当の松山街道は今ではMMCと三共の敷地で潰れてしまったのですね。
間違いのご指摘ありがとうございました!

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