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写真で見る桶川史

今回はほったらかし状態に見える区画整理は実は進展している!!!といったことをお伝えしようと思ったのですが雨が降っていてはいい写真は撮れないし、そもそも現地に行く気すら萎えるので別の日にやろうと思っていたこっちを先に記事にします。

郷土出版社発行の上尾・桶川・北本・鴻巣の100年の中から著作権切れ(パブリックドメイン)になっている過去の桶川の写真を先人が残した貴重な写真資料として大公開します。

これは明治40年(1907年)ごろの桶川駅の様子。
okegawa-sta.jpg

この写真は明治45年(1912年)の吹上駅ですが、桶川駅とは開業日(明治18年3月1日)や現在のホームの構造も同じであるため、桶川駅も同じような風景だったと思われます。
fukiage.jpg

・・・
・・・・・桶川駅の開業が明治18年だとさらっといいましたが実はとてもすごいことですよ。上尾と鴻巣には駅があったけど桶川には駅がなかった。とはいうものの、日本にいくつ駅があるのか知りませんが、おそらく桶川駅より古い駅は全国に数えるほどしかないはずです。

以下余談

桶川と同じ日に開業したのは吹上駅、赤羽駅、新宿駅、渋谷駅、板橋駅

桶川駅より古い駅は
上野駅、浦和駅、上尾駅、鴻巣駅、熊谷駅(明治16年7月28日)
品川駅、桜木町駅(明治5年5月7日)
大阪駅、神戸駅(明治7年5月11日)
札幌駅(明治13年11月28日)
など

ちなみに
大宮駅は明治18年3月16日
久喜駅、明治18年7月16日
春日部駅、明治32年8月27日
池袋駅、明治36年4月1日
川口駅、明治43年9月10日
東京駅、大正3年12月20日
北本駅、昭和3年8月1日
…にそれぞれ開設されています。
桶川駅は現在ある駅の大部分が影も形も線路すらない時代にすでにこの世に生を受けていた地味にすごい駅ということです。

余談終わり

昭和7年(1932年)の東口駅通りです。今よりも今よりも道が若干広いようにも感じますが気のせいですよね。
ekidoori.jpg

1907年頃の中山道沿い、南1丁目の風景。
tachibana.jpg

「伝統ある新設校」と自称する桶川小学校の草創期の姿。明治5年に学制(学校教育法みたいなもの)が制定され、その年のうちに開校した興川学校です。開校当初は校舎がなかったので桶川宿本陣を利用して授業が行われていました。
okikawa.jpg

大正時代の荒川です。この頃まで水運が行われていました。
arakawa.jpg

水難事故防止のための講習会の様子で昭和2年(1927年)の様子です。で、後ろに写っている橋が太郎右衛門橋。1971年に現在の橋になりました。
tarouemon.jpg

おまけ

最近、何かとトマトな北本市ですがそのきっかけがコレ。(石戸トマト工場)
tomato1.jpg

大正期に栽培がはじまり、昭和2年(1927年)に桶川町、石戸村、中丸村、馬室村、川田谷村、上平村の6町村によって組合が組織され、トマト製品の製造、販売が行われました。

出荷されるトマトクリーム。
tomato2.jpg

と、今回はここまでにします。他の写真はまた今度にするか、ブログの題材に関連させて掲載します。

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コメント

コメント

二枚目の写真を見ると昔も今も駅の看板ってのは広告効果絶大なのだなぁと感じますね。
いろいろな商店の広告看板が並んでますね。

それから桶川駅ってずいぶん昔からある駅なんですな。初めて知りました。
舟運の船着き場が主流>鉄道輸送への移り変わりが見えてくる写真ですね。

それはさておき、東口は昔のような広い通りになって欲しいかもです。

トマトクリーム…なぞです。トマトピューレみたいなもの?(ググってわかるかな?調べてみよっと)

コメント

下日出谷西2丁目のヒトさん
駅のホーム、今よりも看板が多いですね。

そもそも何で駅通りは狭くなったのか。謎です。

コメント

上尾や鴻巣に駅ができて桶川に出来なかったのは桶川市民としては悔しい話ですね。開業時に駅ができなかったのは何故なのだろう?
東口は昔のあの広さが今あればもうちょっとましだったかも・・・

コメント

たぶりばあんさん
昔の蒸気機関車はあまり性能が良くなくて短時間に(短距離で)発信と停車を繰り返すとすぐに壊れるとどこかで聞きました。だから上尾と鴻巣の間に駅を造れなかったという勝手な想像です。

なぜ上尾と鴻巣に駅ができて大宮と桶川にできなかったか、さらに勝手なことをいうと浦和が県庁所在地だったからなのかもしれません。県庁の町には絶対に駅が必要だと考えた結果、その隣の大宮には距離の問題で駅が設置できずに隣が上尾になった。で、その影響を受けて桶川にも駅ができなかったのかもしれません。

もし大宮が県庁所在地か県庁以上に重要な地点であれば浦和に駅ができずに大宮に駅ができて、その隣の駅が距離的に桶川になっていたかもしれません。もし桶川に真っ先に駅ができていれば上尾に繁栄の座を奪われることがなかったかもしれません。もし桶川が地域の中心の座に居座り続ければ戦後の合併の時にも上尾はじめとする周辺自治体をなんなく吸収合併できたかもしれません。もし上尾を吸収できていればその勢いで平成合併の時も北本鴻巣を吸収できていたかもしれません。そうすれば今頃桶川市は中核市だったでしょう。歴史の岐路とは恐ろしいものです。

まあ過去のことをもし、もし、いっても仕方がないんですけどね。今はこの地域には桶川市にしかないインターチェンジをどう活かすかです。

コメント

現桶川市民の私が通ります。

南1丁目の写真がありますが、これはまさか旧中仙道?立花会館のあたりですかね。

いいもの見せていただきました。

コメント

m_alternativeさん
真ん中らへんに写っている半鐘が立花会館の手前にあった火の見櫓の前身だそうです(最近静かに撤去されましたが…)。

コメント

鉄道ファンの者です。
高崎線が開通した当時、設けられた駅は上野、王子、浦和、上尾、鴻巣、熊谷のみでした。当時の機関車というのは非常に牽引力が低く、20‰ぐらいの坂で限界でしたから、駅間をできるだけ長くする必要があったわけです。

何故大宮駅が最初から設置されなかったのか?というと、当時の大宮は宿場町として栄えていた浦和とは違い、田園地帯が広がっていただけでした。
しかし、後に開業する東北本線を、高崎線のどこから分岐させるかが問題になり、その中で候補に挙がったのが、一つは熊谷から足利市や桐生市などを経由して宇都宮に向かうルート、二つ目は現在の大宮駅から分岐させるルート、三つ目は浦和駅で分岐して岩槻を通るルートです。最初は熊谷を分岐させるルートが最有力で、富岡製糸場などがあり生糸などの輸送に丁度適していたからだそうですが、東北本線はあくまでも「東北と関東」を結ぶためのものとして持ち上がった計画だったので、距離で言ったら非常に遠回りのルートで、東北と関東を結ぶ上では非常に厄介なものでした。
熊谷分岐案の次に目を付けたのは、三つ目の浦和駅から分岐して岩槻を経由するルートです。距離的にもどの案よりも近く最短距離で結べましたが、当時の岩槻市民の反対運動が激しかったようで、結局最後に残った大宮駅分岐案が採用されたわけです。
ここで大宮駅分岐案が採用されずに熊谷から分岐していれば、それなりに栄えていたでしょうね。
桶川は一部の特急や快速も停車しますし、圏央道もようやく開通したので、更なる発展は見込めそうです。

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